わたくし、鈴木博貴は 1979年(昭和54年)2月21日 岩手県盛岡中央病院に生まれました 父は小児科医 母は薬剤師 親族もほとんどが医療関係者という 医療一族です。 父親の勤務先の関係で 盛岡→能代→盛岡→函館と転居し 幼稚園から高校までを北海道函館市にて過ごしました。
小、中学校では地味で大人しい、かといって真面目で優秀なわけでもなく 何の特徴もない生徒でした(笑) 今考えると、自分というものを確立していなく、朱に交わって赤くなっていただけでした。
高校は進学校ながら、自由、自己責任という校風だったため 自分の裁量権が一気にふえました。 しかし、自分を確立していない鈴木少年は、どんどん楽な方、悪い方へと流されていき 現実逃避の言訳として「今を楽しむ」なんて事を言っていました。(笑)
医療一家に育ったため、将来は医者になると勝手に思っていましたが、 医学部の道はそんなに甘いものではなく 当然のごとく、大学入試に失敗し、浪人生活を送ることとなります。 それでも、目が覚めることがなかった鈴木少年は(笑) 「浪人すれば医学部に入れる」と甘い考えは抜けず 自ら努力するということを知らぬまま、 与えられた事だけをやる。 充実とは程遠い生活を送っていました。
今、その時の自分を自己分析すると 「医者になる」という目標が、自分が考え抜いて どうしてもなりたい!!という目標ではなかったため 目標に対して、どのような努力をすればいいのか、 プロセスを作ることが出来なかったのだと思います。 直近の目標がないために、自主的に何かを行うことが出来ませんでした。
何が、鈴木少年を変えるきっかけになったのか・・・高校を卒業し、見事浪人生活へと突入した鈴木少年は 与えられた事だけをこなすという自主性の無い生活を 送っていました。 現実逃避だけは得意な鈴木少年 元々、凝り性なこともあり、勉強以外の様々な事には 情熱を注いでいました。
なかでも、浪人時代に最もハマっていたのがダーツでした。今 では、町中、いたるところにダーツをする環境がありますが、 僕がダーツを始めた時は東京でも渋谷、六本木など お酒と共にダーツをする。 メインはお酒!というお店にしかダーツはありませんでした。
20年近く前の話になります(笑) 大人に交じり(といっても、今の僕よりは若い人達ですが…) 高校卒業したての若僧は 勝手に大人になった気で、毎晩のようにダーツバーに行っておりました。 しかし、そんなに遊ぶお金があるわけではなく、 遊ぶためにバイトをする。 バイトに時間がとられるので、本業の勉強は全くしないという 最悪の浪人生活を送っていました。
今になって考えると、何も言わずに予備校の授業料を出してくれていた 親には大変申し訳ない気持ちです。 ただ、この経験はとても貴重で、現在の僕の礎になっていると思います。 そのうち、僕は行きつけのダーツバーで、店員としてバイトさせていただく事になりました。 僕にとっては、お金を貰いながらダーツが出来る最高の環境だったのです。 当然、生活の中心はここ!(ダーツバー)になっているのでした(笑)
そんな時、ある常連のお客さんにとても印象に残る言葉をかけられます。 「鈴木君は、好きなことやってお金貰えるなんて幸せだよね!!」 「俺なんて生活するために仕方なく今の仕事してるから、希望とか何もないよ(笑)」 酔って愚痴っぽくなっていたのもあるのかもしれませんが、とても衝撃を受けたのを覚えています。 人間、みんななりたいものになっているわけじゃないんだと… 今考えると、どれだけ甘い考えなんだと、自分でも腹が立ちますが、 その時の鈴木少年は、いつか、勝手になりたい自分になれるものだと信じていたのです(笑)
現実を突きつけられた鈴木少年… その後…ダーツまみれの鈴木少年が現実を知った後 どのような行動をとったのでしょうか? まず初めに、50歳の時に何をしているかを想像してみました。 すると、ダーツバーの経営者になっている自分は 全く想像できませんでした。 接客の難しさや、話題の提供方法など 自分は接客能力が素人であることに気が付いていましたので こんな難しいことは出来ない! と、またそこから逃げ出したのです(笑)
受験勉強をしていたほうが楽だと思った鈴木少年 大学入試に向け本腰をいれるのでした。 この時11月…遅っ そんな短期間で入れるほど甘いものではなく 何とか合格通知をいただいたのは、母校 岩手医科大学 歯学部… 医学部でない学部に進学するかどうするか、 迷った鈴木少年ですが、もう一年浪人しても また以前の生活に戻るのでは… 以前の生活の楽しさを知っていた僕は その誘惑を断ち切れる自信がなく 前に進むために入学を決意しました。
しかし、それこそ「なりたい」と全く思っていなかった学部 1年生は本当につまらなかったです。 周りと打ち解けようともせず、 希望もなく 目標もありませんでした。 転機が訪れたのは3年生の時 専門的な授業が少しずつ入ってきて 実習なども面白いと思うようになってきました。 少しでも面白いと思うと凝り性は発揮されます(笑) 興味のある分野だけは勉強しました。
また、その時大学外のつながりを求めて スポーツジムのサークルに加入していました。 競技は「スカッシュ」 壁打ちテニスみたいなやつです。 日曜は朝からスカッシュするため、土曜の夜は 遊びに行かず、早く寝る(笑) 以前とは全く異なる生活に変わりました。 そのサークルで、ある一つのことに気が付きました。 「僕はコミュニケーションをとることが苦手かもしれない…」 色々なサークルの人たちが大会の後に懇親会で集まったとき。 僕は、特定の人間としか話をしていないことに気が付いたのです。
友人は、違うサークルにも沢山知り合いがいるのに… そういえば、大学も全く知らない人がいる… コミュニケーションの取れない歯医者? このままでいい? ここで初めて、授業とは関係のないものを勉強しようと思うのです。 どのようにして、コミュニケーションの勉強をしたか。 コミュニケーションの取り方を勉強しようと思った僕ですが、 どのように勉強すればよいか、全くわかりませんでした。 どうすれば、コミュニケーション上手くなるのかな… 等と漠然と考えていました。
そんなある日、友人から、盛岡にもダーツバーが出来たよ! との情報が!! 5年ぶり位にダーツをする機会が増えました。 1件できると、少しずつダーツ人口も増えていき ダーツが置いてある店も少しづつ増えていきました。 そこで、あるお店と運命的な出会いをするのです。
行きつけのダーツバーのマスターに 新しくダーツマシンを導入した店がある。 との情報を仕入れた僕は付き合いもあって 店のマスターと一緒にそのお店に行くのでした! そのお店は、20年くらい営業をしている 老舗のスナック(笑) 学生の僕は、絶対に入ろうとしないような店構えでした。 中に入ってみると、天井一面にトランプ? カラオケはないのにステージ? 昔ながらのソファー、ブランデーの瓶 皆さんのイメージするようなスナックなのですが、 普通のスナックとは少し異なるところが… そこはマジックバーでした。
まだ、テレビ特番等でマジック番組が放送される前。 奇跡の指先などの言葉が出てくる前の時代です。 目の前で起こる不思議の数々に圧倒され そこから、お金の続く限りそのお店に通うことになるのです。 そこで、僕の師匠といえるマジシャンに色々な事を教わりました。 マジックの技法、見せ方。 毎日のようにトランプを触り、 鏡を見ながら自分の手元を確認し 色々教わりながら、いくつかマジックが出来るようになってきました。 新しいものが出来るようになると、人に見せて 反応が知りたくなるのが人間というもの。 事あるごとに、友人などにはトランプを持ち出して見せていました。 (今考えると、かなりメンドクサイ人だったと思います(笑))
そんなある日、僕はそのお店のカウンターの中に入り お客さんにマジックを披露させていただく事になりました。 緊張しながらも、カウンターの中に入れることを嬉しく思い いざ!! 結果は惨敗… 手順にミスもなければ、もちろんタネがばれたなんてこともありません。 でも、全くウケなかったのです。 僕は師匠に相談しました。 「何がいけなかったんでしょうか」 その時いただいた言葉は、今でも僕の礎になっています。 ・余裕がない ・自己満足 ・求められているか 結局、僕は経験、技術、レパートリー全てにおいて不足していたため 観客が見たいと思っているマジックを見せることが出来ず 自分の一番やりたいマジックを押し付けていたのです。
しかも、観客の人を楽しませるという発想はなく 「俺はこんなことが出来るんだ!すごいだろ!」 的な態度だったと思います。 もちろんアドリブなど利かせれるわけもなく 決められたセリフを決められたタイミングで言っていただけでした。 そんなマジック僕だって見たくありません(笑) ここでコミュニケーションの一端が見えた気がします。 「いかに観客のニーズをつかむか」 「どのようなものを求めているのか」 「こちらの都合で、都合のよいものを押し付けていないか」 「大変な時こそ笑顔が出せるか」 「相手のニーズに応えられるような引き出しが沢山あるか」 今の仕事に通じるものが沢山あります。 マジックという趣味を通して、人との会話ということの基礎を学びました。
しかし、学業以外のことに専念していた僕は、大学での成績は予想を大きく下回るものでした。 このままでは、歯科医師になれない。 大学を出たのに資格がなければ、何も出来ない。ただ年を取ってる新卒者… ここで、現在の座右の銘となっている事が書いてある本に出合うのですが、 様々な趣味を活用し、少しずつ成長してきた僕ですが、 本業の学業はかなりおろそかになっていました。 興味のある科目は勉強するのですが、 興味のない科目は全くしない。 歯科の分野が点と点が繋がっていない状態でした。
そんな中、ある1冊の本と出合います。野球選手「イチロー」の様々な言葉がおさめられている本でした。 野球好きの僕は、軽い気持ちでその本を手に取りました。そこには、衝撃が待っていました。
自分を見つめなおすきっかけ。 本当になりたい自分は? そのためには何をするべきか… 何度も何度も読み返し、 その時に響いた言葉をかみ砕く。 1か月後読み返すと、別の言葉が響いてくる。 その時の状況にあった言葉、自己分析の大切さ。
この本に出会ってから7年8年位経ちますが、 未だにこの本を読み返しては新しい発見や気づきがあります。 そのなかで僕の座右の銘となっている言葉があります。 メジャーリーグで初めて200本安打を達成したイチロー選手が 日本での200本安打を打った時との違いを記者に聞かれて 「あの時の自分と、今の自分を比べるのは、今の自分に失礼だ」 感動しました。
僕はそんなに日々成長できているか… 胸を張ってその言葉を言えるようになりたい。 それから僕はなりたい自分になるために 5年後の目標を設定します。 それを達成するためには1年後までになるべき自分像が見えてきます。 すると、半年後の目標、1か月後の目標、1週間後の目標 明日の目標 今日やるべきことが分かるようになってきました。