歯科医師になってから

研修医が終了し、この先どのような歯科医師になるか どんな自分になりたいか。 それを考えていた時にイチローの本に出会いました。

研修が終了に近づくと、様々な医局が医局員確保の動きをみせます。 まるで、新入生を勧誘する部活やサークルのように(笑) そこで、何をやりたいの?と尋ねられるのですが、 様々な分野の点と点が最低限ですが結びついた僕は 全ての分野に興味がありました。

口腔外科もやってみたい。 麻酔科で全身管理もしてみたい 補綴科で咬み合わせの勉強もしたい。 矯正も興味がある。 小児歯科も面白そう。 予防も大事だよね… 勿論、歯周病、虫歯治療は基本だし… 全部のエキスパートになりたい!! これがその時の目標でした。

でも、大学の医局の先輩たちは 「それは無理だよ」 「一生かかっても、1分野のエキスパートになれるかどうかなんだから…」 と、言われました。 確かに、すべての分野で日本一になるのは無理かもしれない。 でも、 「専門外なのでわかりません」 とは、絶対に言いたくない… でも、 そんなに優秀な人間じゃないしな… 様々な葛藤の中で進路を悩んでいました。

悩んだ時にはイチロー本(笑) メジャー挑戦時のコメントでこんなカッコいいセリフがありました。 「ほかの誰よりも僕が一番期待しています。その自信がなければここにいません」 「なりたい」自分になるためには、まず、自分が自分に期待できる。 その位努力しなければ… 全てを勉強できる環境。 それは、開業医で勤務しながら、自ら勉強会やセミナー情報を調べ 休みの日を使って勉強する。 その勉強した成果を日々の診療で発揮する。

認定医や専門医という称号はもらえないかもしれない。 論文発表の機会を作るのは難しいかもしれない。 でも、日々の診療で 「これが足りない」 と感じたら、そこを勉強する。 それを繰り返していけば、いつか、目標に到達できる。 そう自分に期待し、開業医に勤務することになりました。

勤務先も、勉強会やセミナーは東京で開催されることが多いので 東京の歯科医院のみ希望しました。そうして、僕の歯科医人生は始まったのです。 

東京都多摩市の歯科医院に勤務して最初にぶち当たった壁。 それは自信を持っていたコミニュケーションでした…開業医に勤務して、初めてぶち当たった壁。 それが、結構自信を持っていたコミニュケーションでした。 「1日1回、診療室で患者さんを笑わせる。」 その時の僕の目標でした。

しかし、フィーリングが合って笑ってくれる患者さんもいれば 全く笑わない そのうえ 「こっちは辛くてきてるんだ!笑い事じゃないんだ!」 と、お叱りの声をいただく事も。 叱っていただくならいいのですが、 受付で担当医を変えてくれと言われたことも… 研修医あがりで、技術が未熟だったこともあるかもしれないのですが、 コミニュケーションにより信頼関係を得られない人がいる事にショックでした。

落ち込んだ時はイチロー本(笑) そこで目にとまったのが、 オリックス時代、初めてメジャーのキャンプに参加した時の事。 メジャーのスカウト、評論家に一番酷評されたのが なんと、守備でした。 何度もゴールデングラブ賞を受賞しているイチローが!!です。 その評価を跳ね除けメジャーで10年連続でゴールデングラブ賞を受賞 レーザービームの代名詞を得た。 僕も、努力で評価を変えたい!! 僕が自信を持っていたコミニュケーションは不完全なものだった それを気が付かせてくれたのが、患者さんたちだったのです。

なぜ、僕のコミニュケーションは通用しなかったのか… 通用する人、信頼関係を得られる人もいる。 そこで勉強したのが「コーチング」でした。 自分と同じ価値観のひとだけではない。 相手にとって、受け入れやすい、聞きやすい言い方って何だろう… それは、患者さんだけでなく、スタッフへの接し方 また、友人、知人に対する接し方にもつながっていきました。

コーチングに関しては今も勉強中です。 あの時なんて言えば良かったんだろう。 もう少し他の言い方があったのでは? 反省の日々です。 しかし、ここでコーチングに出会えたことを感謝します。 僕の基礎になっている一つです。

コミニュケーションで信頼関係を得ることが出来ても 肝心の治療が出来なければ意味がありません。 治療のスキルアップの為何をするべきか考えました。 結論は、もっとたくさんの症例を見なくてはならない。でした。 沢山患者さんを診させていただければ、当然、様々な症例に出会う事ができる。 経験を積まなくては… そう思った僕は、勤務先を変えるという結論を出しました。

最初に勤務した開業医は、時間に余裕があり、 患者さんをゆっくり、時間をかけて治療することが出来ました。 技術の未熟だった僕は、時間に余裕がないと自分も余裕がなくなり 焦りが生じてしまうこともあったので、ゆっくり治療できたのは とてもよいことでした。 しかし、その環境に慣れ、時間を気にせず治療をすることは決して良いとは言えません。 時間をかけ、丁寧に上手にやるのは当たり前。 限られた時間でも、治療の質を下げない事が必要でした。 そのために、1日の患者数が多く。かつ、丁寧な治療を心がけることを支持してくれる 歯科医院に勤務したいと思いました。

相反する二つの事を受け入れてくれる歯科医院はなかなか見つかりませんでしたが、 運よく声を掛けていただき、理想とする歯科医院に勤務できることになりました。 そこの歯科医院で最初に感じたことが、 「ここは人気のある歯科医院だ!!」 ということでした。

今でも鮮明に記憶に残っていることがあります。 それは、勤務して3日目で、僕のアポイントがすべて埋まったのです。 3日目で!!です(笑)

前の職場では、午前も午後もすべて埋まるということはほぼありませんでした。 それが、転職して3日目でもうすでに… なぜ、ここの歯科医院が、こんなにも患者さんに支持されるのか。 それを学び取るのが、第一の目的となりました。

この恩義ある歯科医院でどのようなことを学んだか1日に沢山の患者さんを診療させていただく事になり 自分に足りないものが多々見えてきました。 そのうちのひとつが、診断力でした。

なぜ患者さんが痛みや苦痛、違和感を訴えているのか それがわからない。ということが出てきました。 まずは総合的な知識を高めようと 学生時代、研修医時代の書籍を読み返しました。 すると、その時曖昧にしていた知識、 その時には想像することが出来なかった症例が 素直に入ってきて、いかに自分が勉強不足だったか、 自分の診断が浅はかだったかを痛感しました。

もう一度、大学に戻り勉強しなおそうかとも 真剣に考えましたが、医局での勉強にも 限界があることを友人から聞いていたこともあり 自分で勉強できるところを探してみました。 そんな時、とある大学が 歯科医師向けの研修会を行っていることを知り その研修会に参加することになりました。

自分と同じくらいの先生ばかりが参加するものと 思っていましたが、かなりの先輩先生も 熱心に参加しており このように生涯学習するべきである! 自分もこのような先生になりたい! と、強く思ったのです。

それから、定期的に休みを取り セミナー、勉強会に参加させていただきました。 勤務先の院長の協力もあり 4年半の勤務期間で参加した勉強会の数は 24回!! ほとんどの勉強会が、土日祝日に行われるため 勉強会に参加するためには お休みを頂かなくてはいけません。 通常2か月に1回の頻度で休みをいただく事は 勤務医では不可能なのですが、 快く勉強会に参加させていただきました。 本当に感謝しています。

周りの皆さんの協力のおかげで この4年半で自分でも 「成長できた!!」 と確信しています。 そして、現在も定期的に勉強会、セミナーに参加しております。 歯科の治療は日進月歩 次々と新しい治療法が出てきます。 新しいものを否定するのではなく かといって、何でも取り入れるのではなく。 本当に患者さんにとって有益な治療法は何かを見極めるため 様々な角度から勉強を続けたいと思っております。 「あの時の自分と今の自分を比べるのは今の自分に失礼」 この言葉を常に胸を張って言えるよう努力していきます。

誕生から歯科医師になるまで

わたくし、鈴木博貴は 1979年(昭和54年)2月21日 岩手県盛岡中央病院に生まれました 父は小児科医 母は薬剤師 親族もほとんどが医療関係者という 医療一族です。 父親の勤務先の関係で 盛岡→能代→盛岡→函館と転居し 幼稚園から高校までを北海道函館市にて過ごしました。

小、中学校では地味で大人しい、かといって真面目で優秀なわけでもなく 何の特徴もない生徒でした(笑) 今考えると、自分というものを確立していなく、朱に交わって赤くなっていただけでした。

高校は進学校ながら、自由、自己責任という校風だったため 自分の裁量権が一気にふえました。 しかし、自分を確立していない鈴木少年は、どんどん楽な方、悪い方へと流されていき 現実逃避の言訳として「今を楽しむ」なんて事を言っていました。(笑)

医療一家に育ったため、将来は医者になると勝手に思っていましたが、 医学部の道はそんなに甘いものではなく 当然のごとく、大学入試に失敗し、浪人生活を送ることとなります。 それでも、目が覚めることがなかった鈴木少年は(笑) 「浪人すれば医学部に入れる」と甘い考えは抜けず 自ら努力するということを知らぬまま、 与えられた事だけをやる。 充実とは程遠い生活を送っていました。

今、その時の自分を自己分析すると 「医者になる」という目標が、自分が考え抜いて どうしてもなりたい!!という目標ではなかったため 目標に対して、どのような努力をすればいいのか、 プロセスを作ることが出来なかったのだと思います。 直近の目標がないために、自主的に何かを行うことが出来ませんでした。

何が、鈴木少年を変えるきっかけになったのか・・・高校を卒業し、見事浪人生活へと突入した鈴木少年は 与えられた事だけをこなすという自主性の無い生活を 送っていました。 現実逃避だけは得意な鈴木少年 元々、凝り性なこともあり、勉強以外の様々な事には 情熱を注いでいました。

なかでも、浪人時代に最もハマっていたのがダーツでした。今 では、町中、いたるところにダーツをする環境がありますが、 僕がダーツを始めた時は東京でも渋谷、六本木など お酒と共にダーツをする。 メインはお酒!というお店にしかダーツはありませんでした。

20年近く前の話になります(笑) 大人に交じり(といっても、今の僕よりは若い人達ですが…) 高校卒業したての若僧は 勝手に大人になった気で、毎晩のようにダーツバーに行っておりました。 しかし、そんなに遊ぶお金があるわけではなく、 遊ぶためにバイトをする。 バイトに時間がとられるので、本業の勉強は全くしないという 最悪の浪人生活を送っていました。

今になって考えると、何も言わずに予備校の授業料を出してくれていた 親には大変申し訳ない気持ちです。 ただ、この経験はとても貴重で、現在の僕の礎になっていると思います。 そのうち、僕は行きつけのダーツバーで、店員としてバイトさせていただく事になりました。 僕にとっては、お金を貰いながらダーツが出来る最高の環境だったのです。 当然、生活の中心はここ!(ダーツバー)になっているのでした(笑)

そんな時、ある常連のお客さんにとても印象に残る言葉をかけられます。 「鈴木君は、好きなことやってお金貰えるなんて幸せだよね!!」 「俺なんて生活するために仕方なく今の仕事してるから、希望とか何もないよ(笑)」 酔って愚痴っぽくなっていたのもあるのかもしれませんが、とても衝撃を受けたのを覚えています。 人間、みんななりたいものになっているわけじゃないんだと… 今考えると、どれだけ甘い考えなんだと、自分でも腹が立ちますが、 その時の鈴木少年は、いつか、勝手になりたい自分になれるものだと信じていたのです(笑)

現実を突きつけられた鈴木少年… その後…ダーツまみれの鈴木少年が現実を知った後 どのような行動をとったのでしょうか? まず初めに、50歳の時に何をしているかを想像してみました。 すると、ダーツバーの経営者になっている自分は 全く想像できませんでした。 接客の難しさや、話題の提供方法など 自分は接客能力が素人であることに気が付いていましたので こんな難しいことは出来ない! と、またそこから逃げ出したのです(笑)

受験勉強をしていたほうが楽だと思った鈴木少年 大学入試に向け本腰をいれるのでした。 この時11月…遅っ そんな短期間で入れるほど甘いものではなく 何とか合格通知をいただいたのは、母校 岩手医科大学 歯学部… 医学部でない学部に進学するかどうするか、 迷った鈴木少年ですが、もう一年浪人しても また以前の生活に戻るのでは… 以前の生活の楽しさを知っていた僕は その誘惑を断ち切れる自信がなく 前に進むために入学を決意しました。

しかし、それこそ「なりたい」と全く思っていなかった学部 1年生は本当につまらなかったです。 周りと打ち解けようともせず、 希望もなく 目標もありませんでした。 転機が訪れたのは3年生の時 専門的な授業が少しずつ入ってきて 実習なども面白いと思うようになってきました。 少しでも面白いと思うと凝り性は発揮されます(笑) 興味のある分野だけは勉強しました。

また、その時大学外のつながりを求めて スポーツジムのサークルに加入していました。 競技は「スカッシュ」 壁打ちテニスみたいなやつです。 日曜は朝からスカッシュするため、土曜の夜は 遊びに行かず、早く寝る(笑) 以前とは全く異なる生活に変わりました。 そのサークルで、ある一つのことに気が付きました。 「僕はコミュニケーションをとることが苦手かもしれない…」 色々なサークルの人たちが大会の後に懇親会で集まったとき。 僕は、特定の人間としか話をしていないことに気が付いたのです。

友人は、違うサークルにも沢山知り合いがいるのに… そういえば、大学も全く知らない人がいる… コミュニケーションの取れない歯医者? このままでいい? ここで初めて、授業とは関係のないものを勉強しようと思うのです。 どのようにして、コミュニケーションの勉強をしたか。 コミュニケーションの取り方を勉強しようと思った僕ですが、 どのように勉強すればよいか、全くわかりませんでした。 どうすれば、コミュニケーション上手くなるのかな… 等と漠然と考えていました。

そんなある日、友人から、盛岡にもダーツバーが出来たよ! との情報が!! 5年ぶり位にダーツをする機会が増えました。 1件できると、少しずつダーツ人口も増えていき ダーツが置いてある店も少しづつ増えていきました。 そこで、あるお店と運命的な出会いをするのです。

行きつけのダーツバーのマスターに 新しくダーツマシンを導入した店がある。 との情報を仕入れた僕は付き合いもあって 店のマスターと一緒にそのお店に行くのでした! そのお店は、20年くらい営業をしている 老舗のスナック(笑) 学生の僕は、絶対に入ろうとしないような店構えでした。 中に入ってみると、天井一面にトランプ? カラオケはないのにステージ? 昔ながらのソファー、ブランデーの瓶 皆さんのイメージするようなスナックなのですが、 普通のスナックとは少し異なるところが… そこはマジックバーでした。

まだ、テレビ特番等でマジック番組が放送される前。 奇跡の指先などの言葉が出てくる前の時代です。 目の前で起こる不思議の数々に圧倒され そこから、お金の続く限りそのお店に通うことになるのです。 そこで、僕の師匠といえるマジシャンに色々な事を教わりました。 マジックの技法、見せ方。 毎日のようにトランプを触り、 鏡を見ながら自分の手元を確認し 色々教わりながら、いくつかマジックが出来るようになってきました。 新しいものが出来るようになると、人に見せて 反応が知りたくなるのが人間というもの。 事あるごとに、友人などにはトランプを持ち出して見せていました。 (今考えると、かなりメンドクサイ人だったと思います(笑))

そんなある日、僕はそのお店のカウンターの中に入り お客さんにマジックを披露させていただく事になりました。 緊張しながらも、カウンターの中に入れることを嬉しく思い いざ!! 結果は惨敗… 手順にミスもなければ、もちろんタネがばれたなんてこともありません。 でも、全くウケなかったのです。 僕は師匠に相談しました。 「何がいけなかったんでしょうか」 その時いただいた言葉は、今でも僕の礎になっています。 ・余裕がない ・自己満足 ・求められているか 結局、僕は経験、技術、レパートリー全てにおいて不足していたため 観客が見たいと思っているマジックを見せることが出来ず 自分の一番やりたいマジックを押し付けていたのです。

しかも、観客の人を楽しませるという発想はなく 「俺はこんなことが出来るんだ!すごいだろ!」 的な態度だったと思います。 もちろんアドリブなど利かせれるわけもなく 決められたセリフを決められたタイミングで言っていただけでした。 そんなマジック僕だって見たくありません(笑) ここでコミュニケーションの一端が見えた気がします。 「いかに観客のニーズをつかむか」 「どのようなものを求めているのか」 「こちらの都合で、都合のよいものを押し付けていないか」 「大変な時こそ笑顔が出せるか」 「相手のニーズに応えられるような引き出しが沢山あるか」 今の仕事に通じるものが沢山あります。 マジックという趣味を通して、人との会話ということの基礎を学びました。

しかし、学業以外のことに専念していた僕は、大学での成績は予想を大きく下回るものでした。 このままでは、歯科医師になれない。 大学を出たのに資格がなければ、何も出来ない。ただ年を取ってる新卒者… ここで、現在の座右の銘となっている事が書いてある本に出合うのですが、 様々な趣味を活用し、少しずつ成長してきた僕ですが、 本業の学業はかなりおろそかになっていました。 興味のある科目は勉強するのですが、 興味のない科目は全くしない。 歯科の分野が点と点が繋がっていない状態でした。

そんな中、ある1冊の本と出合います。野球選手「イチロー」の様々な言葉がおさめられている本でした。 野球好きの僕は、軽い気持ちでその本を手に取りました。そこには、衝撃が待っていました。

自分を見つめなおすきっかけ。 本当になりたい自分は? そのためには何をするべきか… 何度も何度も読み返し、 その時に響いた言葉をかみ砕く。 1か月後読み返すと、別の言葉が響いてくる。 その時の状況にあった言葉、自己分析の大切さ。

この本に出会ってから7年8年位経ちますが、 未だにこの本を読み返しては新しい発見や気づきがあります。 そのなかで僕の座右の銘となっている言葉があります。 メジャーリーグで初めて200本安打を達成したイチロー選手が 日本での200本安打を打った時との違いを記者に聞かれて 「あの時の自分と、今の自分を比べるのは、今の自分に失礼だ」 感動しました。

僕はそんなに日々成長できているか… 胸を張ってその言葉を言えるようになりたい。 それから僕はなりたい自分になるために 5年後の目標を設定します。 それを達成するためには1年後までになるべき自分像が見えてきます。 すると、半年後の目標、1か月後の目標、1週間後の目標 明日の目標 今日やるべきことが分かるようになってきました。

技工士問題について(少しでも問題解決につながりますように)

こんにちは

立川駅南口より徒歩5分

立川デンタルクリニックすずき 院長の鈴木です。

このブログでは、基本的に、皆さんの口の中の悩み、歯の健康維持に対して少しでもお役に立てば良いとの想いから、様々な情報発信を行っておりました。

その中で、出来るだけ書かないでおこうと決めていたジャンルがあります。

それが、制度に対する問題提起です。

国民皆保険制度、歯科の保険制度、様々な問題点があります。

しかし、そこは僕らが何か言っても始まらないし、ただの言い訳になってしまう。

保険のルールだから仕方ない。

そう言えば誰も何も言い返せなくなってしまう。

それが本当に嫌なら、保険治療を一切行わない歯科医院にすればいいだけなので、制度についての問題提起はほとんど発信しておりませんでした。

これからも、ほぼしないと思います。

しかし、この問題は歯科界の未来、根源を覆してしまうような問題なので、あえて書かせていただきます。

技工士専門学校がどんどんと閉校しているというのです。

2000年頃に比べて、20校減少しました。

2000年の専門学校数が72校だったので、1/4減少したことになります。

その理由は、入学志望者が減少したため…

なぜ、技工士はそんなに人気のない職業になってしまったのか?

それは、・低賃金・長時間労働・高い離職率による人手不足

負のスパイラルに突入しているからです。

国家資格である技工士の賃金を上げることが出来れば、問題が解決できそうですが、それも、そう簡単には解決できなさそうなのです。

例えば、インレーと呼ばれる、部分的な金属があります。

こんな感じのやつです。

これを一つ作るのに、新卒の技工士がどの位時間がかかるか?というのを調べた団体が二つありました。

その二つの団体の平均時間は117分でした。

この時間を東京都の最低賃金に合わせると、1970円の人件費がかかります。

事業主の方はお分かりかと思いますが、人件費割合というものがあります。業種によって様々だと思いますが、やや高めで仮に40%だとしましょう。

そうすると、インレー1個で最低でも4925円の売り上げがないと、その技工所は仕事を請け負えば請け負うほど赤字になってしまう価格。ということです。

しかし、厚生労働省が定める、技工料インレー1個1990円

1990円ですよ?

国家資格を持った人が、東京都の最低賃金で、資格手当もなく働いたとして、技工所に5千円弱入らないと事業が成り立たないという仕事の、推奨価格が1990円

それはボランティアですか?

人件費、最低賃金を決めているのは厚生労働省

保険点数、治療費を決めているのも厚生労働省

歯科技工士に免許を交付し管轄しているのも厚生労働省です。

そもそも、インレーは既製品ではありません。

その人の歯型を取り、その人たった一人の為に作る金属です。

サイズや必要な時間が異なるので、単純に比較できない事は分かっています。

しかし、オーダースーツ、最近非常に安くなってきたとはいえ、5万円以上するところが多いでしょう。

生地などにこだわれば、10万円20万円は当たり前の世界です。

足の型を取り、オーダーで靴を作成すると…

やはり6万円~20万円

オーダーの結婚指輪

指輪の作成料は3万円ほど、そこに材料費や加工代が入るそうです。

ではインレーは?

保険点数608点(金属を多く使う大臼歯)

つまり6080円です。

僕たち歯科医師は別にいいです。

調整だってそんなに大変じゃない。

儲けがほとんどないのは、今に始まったことじゃないので。

しかし、この金額設定で生計を立てなくてはいけない、技工士さんには無理があるんじゃないですかね?

そうやって、技工士という職業が人気がなくなるとどうなるか?

若い技工士さんがいなくなります。

今は機械で詰め物を作れる時代だ!という人もいるかもしれません。

その機械の操作は誰がしますか?誰が作っても同じような物が出来る機械ではないんですよ?

精度や設計はやはり、歯の事を分かっている人でないと作ることが出来ません。

そして、残念ながら、今の技術では入れ歯は作れません。

入れ歯のようなものは作ることが出来ると思いますが、咬み合わせってそんな単純なものではありません。

技工士さんにしわ寄せがいっている。非常に大きな負担を強いている今の現状を打破しないと、あと15年経って、かぶせ物作れる人がいないから、技工物の納期は1か月後…

そんな時代が来るかもしれないんですよ?

自分たちの立場からだけではなく、相手の立場に立って物事を見ないと、いずれそれは自分に返ってきてしまうような気がします。

少しでも、このような現状を知っていただけたらと思います。